“習慣”が“思い出”に変わる、そのときも

人が何かを思い出すとき、それは過去の“習慣”だったりすることが多い。

 

わたしの場合、小学校にあがるまでの記憶はあまりないのに、家から保育園まで三輪車に乗って母親と通っていたことだけははっきり覚えていたりする。

 

それこそ、小さな車輪がコンクリートと擦れてガチャガチャとうるさく響く音までも。

 

小学生から大学受験の手前まで続けた、毎週土曜日のピアノ教室だってそう。

 

辞めてから5年はゆうに立つけれど、6帖ほどのレッスン部屋の内装は今でも鮮明に思い出せる。

 

ピアノの先生はスヌーピーが大好きだったということも。

 

一度きりの大きなイベントよりも、飽きるほど繰り返した小さな習慣のほうが、大人になった今でも記憶に残りやすかったりする。

 

まあ当たり前といっちゃ、当たり前かもしれないけど。

 

私がそんなことを考えるようになったのは、本当につい最近のことだった。

 

私と彼は毎週土曜の夜に近くの銭湯に行く。特別な用事がない限りは、本当に毎週行く。

 

「じゃあ、19:15にここで集合ね」

 

と約束して別れても、彼はだいたい5分遅れてくる。

昭和の名曲「神田川」のワンフレーズ「一緒に出ようねって言ったのに / いつも私が待たされた」とはこのことだ。

 

最近は専ら、帰りの運転は私の担当で、彼はなぜか帰り道にある薬局に行きたがる。

 

スーパーでも、コンビニでもない。

薬局の片隅にある食品コーナーで、カップラーメンとお菓子と炭酸ジュースの3つを必ず買う。

 

隣にあるスーパーで買ったほうが本当は安いんだけど、何度言っても彼は「薬局のほうがいい」の一点張りだった。

 

薬局から家に帰るまでには、踏切を2つ渡らないと帰れない。2つとも引っかからずに通れたら、それはもう本当にラッキー。たいていはどっちかに引っかかるから。

 

この間も、片方の踏切に通せんぼをくらった。

 

小雨が降るなか、ちょっと不気味にも見える赤の警告色が目に焼きつく。

 

そういえば、ここ最近の土曜日は雨が続いてるなとぼんやり思いながら、少し先のことを想像したりする。

 

ここまでが私と彼が共有する“習慣”の一部。

 

ここでの生活があとどれくらい続くのかは、本人である私たちですら予想もつかない。

 

だけど、何かの境目で、毎週土曜日に銭湯に行くことはなくなるだろうし、その後に薬局の狭い食品コーナーをうろつくことも、2つある踏切の片方にだけ運悪く捕まることだって“習慣”じゃなくなる日が来ると思う。

 

そうしなくなるときが、必ずどこかのタイミングでやって来る。

 

でもそしたらそのとき私は、この“習慣”を心底懐かしく、愛しく感じてるんだろうなとも思う。

 

小さな車輪がコンクリートと擦れる音や、スヌーピーのぬいぐるみが並べられた6帖のレッスン部屋を、ふと、思い出すように。

 

ちょっとうんざりするくらいの小さな出来事の繰り返しが、何年後かになって、ちょっと自分の心を救ってくれたりする。

 

だから、私はちょっとでも多くの“習慣”を今から作っておきたいのだ。

 

踏切を渡る時、雨に濡れた線路とタイヤのゴムがきゅっと擦れる音がした。

ハンドルを強く握り直す。

 

この“習慣”が“思い出”に変わる、そのときも

彼が隣にいてくれることを願いながら。

ライター。1994年 滋賀県生まれ。静岡大学 人文社会科学部 英米文学卒。学生時代に国際交流事業に携わるなかで、スロバキアに興味を持ち、長期留学を決意。その体験記を旅行メディア「REISEN」で執筆し始めたことをきっかけにWEBメディアの魅力を実感。帰国後「IDENTITY名古屋」「UNLEASH」「AMP」で執筆活動を始める。
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